病気と自分

去年何かの用事で婦人科に行った際、子宮筋腫が見つかったのです。昔から検査するとほぼ引っかかって何か言われるので私は検査が嫌いです。

人間ドックツアーという、ホテルに泊まって身体中検査して終わるパッケージがあると聞きますが、こういったものは私にとっては苦行です。『知らなくていいこともある』という人生のスタンスなので、見えない部分はそっとしておきたい気持ちなのです。

婦人科で待っている時、前の患者さんの怒号が部屋から聞こえてきました。内容的に不妊治療。そして希望が出てきたところで今回も失敗だったということで先生が怒鳴られていました。その患者さんは見た感じ私より遥かに年上なので難しいんじゃないのか?そもそも…と思いましたが、クリニックも不妊治療を掲げる以上取り組むしかありません。

私が呼ばれて診療室に入った時、院長先生はグッタリしておりホームページのプロフィール写真とだいぶ違うではないかwと思うくらいお疲れのようでした。不妊治療はとても繊細な分野です。

私はとりあえずただの検査なのでチャッチャと支度しました。

そこで『立派な筋腫が4つ、もうちょっとありますよ』と言われたのです。やっぱりこうやって必ず不具合が見つかる、ポンコツめ!と毎度のことながら思いました。子宮筋腫は良性の腫瘍で、場所によっては悪さをしますが私の場合何も自覚症状なく上手い具合に共存していました。女同士話しているとみんなよく知っている有名な病名です。

そしてネット上の情報でもかなり脅しが入っていますが、私は何せ共存しているようなのでこのままで良い、と先生にもお伝えしました。

気になる方は取るかもしれません。でも、子宮筋腫は閉経すれば小さくなるので今がMAXであろうと勝手に考えてそのままにしています。一個あたり4cmもあるそうですがいいのです。ウチの方針、というのもあるのですが『できるだけメスを入れないで行こう』という考え。また、自覚症状がないというのと筋腫の場所に問題がないというところもポイントです。ネットで調べると、何故自分は無症状、無自覚なのか不思議なくらい恐ろしい情報が流れています。

私はつくづく思うのですが、こういう情報過多も考えものです。

何でもかんでも最悪の状態にはなりません。その人の体質、体力、年齢も関係しますから取り去ることが良し、ということではないと思うのです。第一、お腹を切って開けるということは癒着というリスクが伴います。今の子宮筋腫の治療はその辺が進化してビームでやっつけたりするのかな?とも思いますが、私はそっとしておくことにしました。

私はギリギリ古い人だと思うので、子供の頃は水ぼうそうをもらいに行くという時代でした。水ぼうそうに罹った子供のところに出向き、自ら罹りにいくという。今は予防接種にて単独で水ぼうそうを防御しているというのに。おそらくその後の『帯状疱疹』に罹らないようにしてるのだと思っています。

水ぼうそうに罹ると治ってもウイルスが神経節に住み続けます。普段はただ住んでいるだけですが、免疫力が落ちた時に神経を伝って出てくる病気です。これがまた伝ってくるだけにメチャ痛いのですが、顔に出ると神経痛が残ることがあったり予後が微妙なために水ぼうそうから根絶することになったのだろうと思います。

しかし帯状疱疹も、なる人、ならない人がいて、再発を繰り返す人、一回こっきりの人様々です。一応、増殖を抑える薬はあるので治る病気ではあります。再発防止は免疫力が下がらないようにする、コロナと一緒ですね。

私は国試の時にあまりの追い詰められように(自分が悪い)、満を持して帯状疱疹に罹りました。これほどのストレスを超えるものがないのでおさまっているのでしょうが、看護師さんなどストレスの多い職業の方は繰り返していました。

私はそのほかにも各種ヘルペスウイルスにも罹り、調べによるとそれらも住まいとして私の中にい続けるとのことです。それを知るたびに引きましたが、もうしょうがないかなという気持ちです。でも不思議と再発はありません。

彼らと共存するには私がうまくコントロールすればいいのです。恐れ過ぎれば気を病み、免疫力が下がって出てきてしまいます。そういうことを住人たちは教えてくれています。

去年流行り気味だった『笑いヨガ』みたいなものがきっと私のように色々なものと共存している者には良いと思います。中医学でもあるように『とにかく笑う』。弱くなるようなこと、下がるようなことはしない、これが身を守るコツです。

今年はコロナ一色のために、病気に対するネガティブなイメージがより一層色濃くなりました。ネガティブではあるけど、それも含めて自分であること。それも人生の中の一つであることを再認識していきたいものです。

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鍼灸マッサージ 茅ヶ崎
不老不死はむしろ不自然な考え方。病気になることも人生の一部。