スピリチュアルとウイルス

スピリチュアルとウイルス

見えないモノとの戦い

もうあまりコロナの話をしても面白くないですし、説教臭くなるのもどうかと思うので言葉の端々に気をつけながら💦今日はスピリチュアルとウイルスの関係のお話です。

今はワクチンのフェーズですので、もっぱら話題は『打つか?打たないか?』。もうちょい前はマスクするだのしないだの、そもそもコロナなんていないだの、よく考えたら大の大人が目に見えないモノに対してこんなに右往左往することも今までなかったのではないでしょうか?なかなか見ものだと思います。

私の業界は半分くらいスピリチュアルに傾倒してる人がいると思います。人体について宇宙について、猛烈に勉強した挙句にスピリチュアルに辿り着いた者、見えないだけにいくらでも言いようがあることに活路を見出しマーケティングに繋げた者、さまざまです。

私は10年この業界にいますが、そちらには行くことはありませんでした。行っても良かったし考えたこともありますが、どこか現実的で冷静な自分がいてどっぷり浸かれなかったという感じです。

ワクチンもそうですが、結局打ってどうなるか?憶測が憶測を呼び、未だに憶測の域を出ていません。医療側からしたら打つべし、なのです。そりゃ、打つ側は打てと言います。しかし、現実として打った後色んな反応があって統一感がない。自分がどのバージョンになるのか?あみだくじ状態です。ワクチンは薬、液体ですから目には見えています。でも結局、大根やにんじんを食べるのと違って、はっきりと明確に何が体に入ってくるのかがわかりません。せっかく解決の糸口が見えても結局、私達は目に見えない何かと戦ってしまうのです。

見えない中の現実

ワクチンの恩恵は計り知れません。薬をアンチとするなら人間はこんなに長生きできませんから。今現在普通に生きている時点で薬、医療、ワクチンの効果は絶大だというのが現実です。見えない中でもこうした結果により現実となります。

一方スピリチュアルというのは、見えないモノに対する意味づけだと思うのです。昔から流行っている占いが、2021年も消えずに残っているのは『現実ではない』ことが功を奏していると思うのです。実際、占いは当たろうが当たらまいが責任を問われることはありません。ヒーラーと呼ばれる方々が手をかざして内臓の炎症がおさまったなら、それは実際には炎症は起きていなかった、気のせいだったということになります。本当の炎症はそういう問題ではないからです。試しに虫歯でやってみたらいいと思います。虫歯が手かざしで治るわけないんです。本当の病気、怪我はスピリチュアルではどうにもなりません。医療がここまで発達していなかった時代に、ヒーラーなどが医者同様の役目をしていたのだと思います。

ウイルスもワクチンも、時間はかかれども現実として必ず結果が現れる。一方、スピリチュアルは結果に合わせて理屈を作っていくため、答えはありません。

ウイルスは現実

医療とスピリチュアルは相反するものです。共通の目的は人を救うことなのですが、現実を見るものと、永久に見ることがないものとして全くの別ジャンルと言えます。

今回は新種のウイルスの出現によりジャンルの境目がグチャグチャになり、混戦を極めています。

軍配はどちらに上がるんでしょうかね🤔

目に見えないからスピリチュアルが登場する、しかしウイルスは現実なのです。見えないだけで確実に『居る』のです。でも、今だに罹らず健康な人が『本当にいるの〜?』と疑問に思うのは仕方がないことです。花粉はウイルスと似たような感じがしますが、取り込んだところで増殖するわけではないのでウイルスとはまるで別物。でも花粉症の人ならわかると思うんです。見えないけど居る、という感覚が。

同じ空気を吸っているのに真っ赤な目をして鼻水が止めどなく流れる一方で『いや〜暖かくて良い季節だなぁ✨』などと言って花見や深呼吸できる人、この違いです。そういえば、コロナ対策として初期に中国が頭丸刈り作戦を決行していましたが、私は花粉の時期の仕事中、ヘッドマッサージの時に特にクシャミが止まらなかったことからあながち間違っていないと思いました。髪にいっぱい花粉がついているんですね、見えないけど。

花粉症でもなければ、この1年以上風邪すら引かない人にとっては、見えないけど居るモノの存在なんか知るかよ!って思うと思います。何しろ実感がないのですから。

見えないモノを見ようとしない、他人の領域を侵さないこと

見えないモノに対して色々な捉え方をするのは自由です。スピリチュアルな考え方もアリ。ただし、その考えならばその考えの中に留まり、土足で現実世界に入らないよう気をつけるべきです。コロナに感染して治療が必要になったら結局医療のお世話になるのですから。

また、医療は見えないモノに対して『絶対』と言い切らない方が良いですね。基本言わないはずですが、最近は医療をビジネスと割り切っているお医者さんも多く『これをやっとかないと最悪は…』などと脅しておいて、次に解決するための商品をご案内するという、ゴリゴリの営業をかけるタイプもおります。

今、何故混戦を極めているかと言ったら、医療とスピリチュアルがお互いの領域に土足で踏み込んでおり、もともと不安を感じやすい弱い人から食い物にされているからだと思うのです。生死観を常に問われる宗教が身近にあったら、人々の考えももう少しまとまっていたかもしれません。歴史ある仏教やキリスト教の教えがあったら、毎日こんなにピリピリせずに済むのかもしれません。とはいえ、狛犬がマスクしているくらいですから何とも言えませんが💦

以前、ブログで『私のSDGs』というお題で書いたことがありますが、これからの時代『他人の領域を侵さないこと』が重要になってくるんじゃないかな、と私は思います。

自然界は常にソーシャルディスタンスを保っている

動物は群れをなそうとも、同じ種族で群れを作り他種族とは必ず距離を置いています。距離どころか隣にいても進んで仲良くしようとはしません。その代わり無駄に相手を攻撃したり、殺さない。これって結局ソーシャルディスタンスなんじゃないかと思うのです。

人間は一生懸命コミュニケーション能力を磨き、何とかみんな仲良くしていこうとします。自分以外は敵だと思っている人もいるかと思いますが、敵と認識するためには『仲良くできないこと』が前提であり、根本は『みんな仲良しであるべき』という発想があると思います。自然界からしたらそれは無謀では?という話。ソーシャルディスタンスは他人をバイキン扱いしたり敵と見なすことではなく、他人の領域と自分の領域の区別だと思うのです。

何を信じても自由

今、色々自分で選択する権利が与えられています。同調圧力は厄介ですが、それが耐えられないならそこから離れるしかない。でも、そこにも色々な選択があります。コロナがいてもいなくても、人生はいつも選択の繰り返しですから驚くほどのことではありません。ただコロナのみに関していえば、間違った選択をした場合死んでしまう可能性がある、それしかないということです。

だから結局どう考えようと『どっちでも良い』ということになります。ウイルス側としたら、その人が何を信じていようと、スポン!と体に入り込んで悪さをするだけ。実際悪いことしている自覚すらないと思いますよ。だからもっと冷静に、淡々と生きましょう☺︎動物達のように。必要以上に見えないモノに対して囚われることは盛大な時間の無駄だと言えます。

今できることを全力でやる、それに尽きます。現実はその結果が必ず出ますから。無駄な時間を過ごしている暇はないのです。それではまた🙌

見えないモノに対して囚われることで精神が疲弊しないよう気をつけましょう!