余命1日のはずの母が今も生きている件

重症心筋梗塞発症からそろそろ丸2年

とんでもないダメージを負い、鼠蹊部、首、手首、合わせて6本の管に繋がれて、ICUには3週間、退院まで半年はかかると言われた母。今年で自宅療養2年目になります。

ICUで気が狂いそうになり1週間で一般病棟へ移ったのですが、先生の制止を振り切り、抜いてはならぬ管を母の強い希望で次々に抜いていきました。

その度に「遂に終わるのか…!」と家族全員臨戦体制になりましたが、結果何も起こらず、あともう少しというところで残り3本が抜けずに母のイライラはピークに達しました。

イライラしようがしまいが、肺の水と諸々の数値は母の努力でコントロールできるものではありません。母は医療関係者だったこともあり、主治医にも堂々と意見を言い主張します。

コロナ禍でもあったのでベッドで管に繋がれて横たわる母との面会はLINEビデオ通話で1日10分程度。この他にトイレに行く時、病院のコンビニに行く時、選挙に行く時のみ動きがあるだけで後は1日中、意識が鮮明にも関わらずベッドにいることしかできないという地獄です。

外の空気を浴びることも風景も見ることもなく、ひたすら横たわる1日がどんなに長いことか。このままでは半年後は寝たきりになって家に帰ってくることが目に見えていました。入院を機に歩けなくなることは多々あります。

治らないから家に帰る、そう考えた母

循環器専門のクリニックに自宅療養を問い合わせるも、首についている強心剤の点滴は薬に置き換えることができないので難しいとアドバイスをいただきました。母は入院僅か1ヶ月半で残りの管を抜いて家に帰る、と主治医に直談判し強引に退院しました。

点滴の管を抜けば持って1日〜1週間、最悪帰りの車で亡くなると脅しを受け、おそらく介護タクシーも嫌がるでしょうと言われました。でしたら妹が車出すんで、ということで私と妹でお迎えに行ったのです。

無理矢理退院して余命1日だったものだから、当然ベッドやら何やら準備はありません。

崩れかけの折りたたみベッドに寝て、当日はビールで乾杯。無事家に帰ってこれた喜びに浸りました。当日夜は案の定、肺が苦しくなり夜中悶絶。翌日も心臓の痛みに苦しみ、もうこれで最後か…!という雰囲気でした。なんとか持ち堪えたところで、気づけば1週間を超えていました。

何も準備がないと最後は救急車呼ばなきゃいけなくて、また入院になる…ということで、ここから介護認定を手配し、ケアマネ、訪問医など最低限の環境を整えていきます。

訪問医がいたとて、訪問医もドン引きするほどの数値の母。「今この瞬間にも亡くなる可能性がある」と伝えられた私の後ろで新聞を読んでいました。

訪問医の存在理由は「不審死を防ぐ」に尽きます。助けて欲しいわけではありません。ですが、やはり病院の医者同じく何か色々やろうとします。

次々と薬は増え、コロナに感染した時はプラス15錠、心臓の薬と合わせて計25錠の薬が処方されました。結局、薬を足した方が具合が悪くなり発作を繰り返すので、退院時の最低限しか母は飲んでいません。これも母の意思です。

狭心症の発作、心不全の悪化、何度も訪れるピンチ。

しかし母は健在

訪問医を呼んでラクにしてもらおうと思っても、利尿剤で改善してしまったりして母のゴールとする死は何故か遠くへ行ってしまいます。

母は「もういいよ…」と言います。もう美味しいものも食べたし、やりたいこともない、みんなに挨拶もできたし充分だと言います。この1年、自治会の副会長も勤め上げ、ゼーゼー言いながら会議に参加し続けました。まさに我が人生に一片の悔いなし、という感じです。

先日、心不全の悪化で大ダメージを受け体重が6kgも減ってしまい、さすがに体力がなくなってしまいました。ほとんど食べないし飲まない。エネルギーがなくなって燃え尽きるような気がしてなりません。もはや心臓病より老衰と言っていいのではないか?と思います。

母は退院してから積極的治療を受けていません。

検査もせず、薬を増やすこともない、痛い時は対処するけど自宅で自力で生活しています。思うに、お年寄りは積極的治療をしない方が長く生きられるんじゃないですかね。私が在宅マッサージの仕事をしていた時思ったのですが、歳を取って大病を患ったらみんなそこから病院通いの毎日です。治療を受けながら自宅で生活するも頻繁に入退院を繰り返し、最後は病院で亡くなります。

入退院の毎日はそう長く続かず、2年くらいがメドですかね。

2年くらいで肺炎など、大きな病気をして亡くなることが多いですが、母の場合、急死に一生を何度も自宅で繰り返しているのです。数値を見る限り、日医大の先生も訪問医も即入院レベルだと言います。なのに家にいるし、なんなら外出までしている。

ひとえに母の生命力とも言えるけど、自然のままにしておくこと、家でいつも通り過ごすこと、というのが体を長持ちさせているのかもしれません。

やっぱり自宅が一番だよ

喜んでくれているのは看護師さんとケアマネさん。現場で日々患者と接している人達は「病院より家にいるのが結局一番だ」と知っています。

心不全が悪化した際、導尿カテーテルを入れることを訪問医は提案しましたが、母は拒否。看護師さんは後日「やめてよ〜、大谷さんのカテーテルの介助やりたくないよ」と笑っていたそうです。

死ぬことを恐れない母、それを全員受け止める周りの度胸、全ての条件が揃わなければなかなか実現しないかもしれませんが、避けられない「死」をどうやって迎えるのか?こうなったら最後まで貫いて欲しいです。

死ぬことは、負けたわけでも悪いことでもない。最後の一瞬は人生のほんの一部。きっと母が亡くなったら、悲しみよりも「お疲れさま」という気持ちが勝るだろうと思います。

最後は笑ってお別れできたら最高です