疾患名にとらわれすぎはよくない
40代の男性が『いやー、いきなり肩が上がらなくなったんですよー』と言うと、若き鍼灸師の先生は大体『それは四十肩です』と即答します。
確かにその可能性はあります。ただし、実務経験を積めば積むほどあながちそうでもないパターンの多いことに気づきます。
そもそも『肩が上がらない=四十肩』という発想はあまりに短絡的です。棘上筋が原因ありきで痛み出して肩が上がらない、とか関節がちょっとズレてしまったとか、なんてことないキッカケで腱やら筋肉を痛めて上がらないこともありますし、帯状疱疹でも肩に激痛が走ります。
安静時痛、夜間痛の有無を聞いて判断できますが、四十肩でなくても超肩が痛くて上がらないことなんてあります。
疾患名にとらわれすぎると足元をすくわれます。
最近、繊細さんの別名『HSP』という新しい言葉が出てきました。あまり詳しくは知りませんが、私は本人から『私はHSPなのだ』と告白されることが多いのです。
確かに言う通り、優しく、傷つきやすそうな感じがしますが、神経質とは違います。また、話も仕事も一緒にできますし結構笑わせてくれます。
強いて言うなら『気にしぃ』という言葉がピッタリだなと🤔ハキハキ物を言われたり、ちょっと早口な、せっかちな人に当たった時、完全に萎縮してしまっていつもの力を発揮できなくなってしまいます。
でも💦私も同じ目に遭っているんだけどな…という感じ。
『〇〇さんの言い方が怖い』『口調が苦手』と言うんですけど、私も同じ圧を受けているんです。そして、私だって気にならないわけではない。そこそこ傷つきますが、それが嫌ならとっとと仕事を覚えるしかないのです。
『自分は繊細さんだから、こういう言い方されると無理💦もっと優しくゆっくり説明して』と思いこみすぎでは?とも見えるのです。繊細にフォーカスが当たっているので、何故だか普通の案件も普通でなくなる。自信なさ気な様子から、さらに周りの見守りが強化され、いつまでも独り立ちできない、自分のペースでできない、負の連鎖なのです。
ですから『疾患名』に捉われすぎると、解決法を見失う恐れがあるのです。
四十肩ではないのに四十肩の治療しても痛いまま時は流れていきますし、繊細な自分にいつまでもこだわっていたら仕事で独り立ちできないんです。
私も昔はとても心配性で自信がなく、部分多汗症に悩まされました。手に汗を掻きすぎて水膨れがおさまらなかったです。でもこれ、高校で武道の部活に入り、とにかくガムシャラに頑張っているうちになくなりました。心配性どころの騒ぎではない、キツい部活だったんです💦色々気にしてるヒマがないという。
最近は、なんでもかんでも名前がついて病気が増えたように思います。
でも、そこに当てはめるのはまだ早い。当てはめて、その名の通りに生きるのはちょっと待った✋です。それでは世界が狭すぎる。
スピリチュアルでいうと『引き寄せ』に入るかもしれませんが、疾患名通りに生きることで病人になってしまう。自ずと低いパワーのものを寄せつけてしまう、そんな心配があります。
『私は繊細』と言えば、周りに優しい人が集まるってもんでもない💦逆に自分の苦手なタイプの人も一緒になって手を差し伸べに集まってきてしまうかもしれないんです。
だから、大切なのは『自立』。自分で自分をコントロールすること☝️病気になろうとならまいと、その人であることは変わりない。病気や疾患名に合わせて人生を歩む必要はないのです☺︎