動物の生き方から学ぶ
8年ほど前に乳がんで亡くなった我が家の猫。13年生きました。犬や猫を飼った事がなかったために、家族のように一緒に生きるペットの死がどれほど辛いか想像できませんでしたが乳がんを患ってから病院で治療せず自宅で介護していく中で、死というものについて学ぶことがたくさんありました。
動物のすごいところは、死に対して抗わないところです。
乳がんのしこりを発見した時、家族で何度も『このしこりは取ってあげた方がいいのではないか?』など話し合いました。発見した時に病院へ行く人、行かない人、どちらが正しいとは言えませんが、動物は『死にたくない』と考えているわけではないということです。
10年以上健康でいた猫にこれから手術と入院の毎日が耐えられるか、と考えた時に我が家では病院へは連れて行かない、と全会一致しました。
ということは、これから病気の進行を私たちも見て、もしかしたら苦しむ様を見なければいけない可能性があるということです。
乳がんが大きくなってきて3ヶ月経ち、体が辛そうな日が出てきました。いつもは寝ないような小さなペット用ベッドでずっと寝ていて元気がありません。見るたびに辛くなり、家の空気は重くなっていきます。『もっとこうしてあげた方がいいのでは?』『家を留守にするのは危なくないか?』と、やはり心配で落ち着かないのです。
実家で実際、最後までお世話をした母と妹は立派だったと思います。ある日、しこりの部分に触らせないように赤ちゃん用のロンパースを縫い直してかわいい洋服を作って着せていました。
アップリケをつけたり、服を着て写真を撮ったり。私はしこりのニオイが緩和できるような軟膏を探したり。出血を抑えるために生理用ナプキンを当てたりしました。
気持ちの不安を実際の行動で払拭した感じです。状況は変わりませんが家族がみんないつも通りの毎日を過ごしいつも通りに接していたら猫はいつもの調子を取り戻し、せっかくつけたナプキンをビリビリ破いて逃げる有様です(笑)
この子は病気になる前もいつもこんな感じでした。元気がなかった時、みんなが自分を見る目が変わり自分のせいで家中が暗くなるのが、本当は嫌だったのかもしれません。
そこからは、乳がんはどんどん大きくなりニオイもキツかったし大変でしたが、それ以外は普通です。本人は辛い時は玄関の暗いところで静かに過ごし、ちょっと何か用があった時にこちらへやってきます。
一切病院に行かずに、発覚から1年生きました。大健闘だったと思います。そして、亡くなっていく様を見せてくれることは私たちにとって大切な事でした。
ペットロスになるのでは?と心配だった妹は、最後まで精一杯お世話をすることでそうなることもなくお見送りすることができました。
中村仁さんの著書には『お年寄りは若者に老いて死にゆく様を若者に見せなければならない』とありました。だから、若者といつまでも張り合って同じ土俵で戦うな、と(笑)
今ウイルス騒動において、一番かかりやすく命に関わるのはお年寄りです。でもそれは長く生きていれば当たり前。私たちが言うと角が立ってしまいますが、お年寄りが堂々と『若者にうつったら大変!』と言ってくれたらこれほどカッコいい事はありません。
コロナウイルス騒動は『もしかしたら近々死んでしまうかもしれない』という同じテーマを全員に平等に与えることで人間の本性を見つめ直すいい機会なのかもしれません。
もし、これが自然界の動物間で起きていたら動物は抗うことなく弱い者から死んでしまうでしょう。弱い者がいなくなったらそれを食料としていた強い動物も死ぬのです。食物連鎖の基本というか、そうやってバランスをとっているだけのこと。
どっちにしろみんなどこかで終わりを迎えるわけですから、できるだけ素晴らしい生き方、素晴らしい最後を迎えたいですね。そういった意味で、死ぬことについてこだわっていない動物の淡々とした姿は潔くカッコよく映るのです。