重症心筋梗塞から生還した母、3年目の秋
オータム・イン・心筋梗塞
心筋梗塞のCK値6000を叩き出した母。2022年6月に発症し救急隊員からの一報が入った時には『もう間に合わない可能性が高い』と言われていました。
母は確固たる生死観を持っており、私が子供の頃から『死』についてよく話していました。その時代では当然タブー視されていたし、今でもそうだと思います。でも、昔から母は死ぬことに対して非常にドライな考えを持っていました。
それは自分であろうと他人であろうと動物であろうと変わらず、元気な頃は『今は健康だからこんなことが言えるのだ、自分が病気になったらきっと変わる。』と言われていました。
しかし、実際死の間際に立っても母は変わりませんでした。
母が運ばれたのは、急性心筋梗塞を発症後丸1日経過してから。不眠不休で痛みに耐えていたけど治らず、私が実家へ遊びに行くため朝10時に家を出ようとしていた時、この状態を発見されたら迷惑をかけると思いクリニックへ自力で駆け込んだからです。
母は医療関係者でもあり『自分の最期は心筋梗塞だったのか…!』と冷静に察知し、助かろうとしていませんでした。
69歳でしたが、もういつでも死んでいいという思いがあって治療を望んでいませんでした。
救急搬送されても重症すぎてステントを入れることもできず、バルーンのみ。医師も『ほぼ助かる見込みはない』と言っていました。ただ、私達も母の思いをよく知っていたので『しょうがないです。』という反応、だいぶ異端だったと思います。
しかし、明日にも死ぬ、と言われてから現在3年が経過。介護度2で、心不全や胃腸障害、狭心症を抱えながらも普通に今まで通り生活しています。最後まで自宅でいるために訪問医をお願いしていますが、この医師にすら『奇跡』と言われるくらいです。
その間なんとワクチンなしでコロナにも罹っています。もちろんその時もこれで死ぬのだろう…と、母は思いながらも痛み止めのみで生還。何度も何度も死にかけから生還しています。
もう長くないからと解約したCOOPも配達員に『死にかけたんですよ』と説明して復活。血圧なんか60/30、体重は38kgしかないのに3年も生きています。
病気と共存、極力自然のままに
ただ、やはり弱々しく体調が優れない日も多いです。寒くなるとテキメンで、寝ていることが多いですが何の因果か母は生きている。本人は『不老ではないけど不死なんじゃないか…』と自分の生命力に引いてるくらいです。
退院に必要な心臓リハビリテーションもすっ飛ばし、家で最期を迎えるために本来半年だった入院をわずか1か月半で退院した強すぎる母。現在、検査も手術もせず(できず)薬も減らしており、必要最低限の装備で生きています。
心臓リハビリテーションはおそらく自宅での日常生活で代替えできている様子。お喋り、お買い物、家事全てが絶妙なバランスで心臓リハビリになっているようです。
病気を言い訳にすることなく自治会副会長も終え、元気な時に言っていたこと有言実行している母。口だけでなかったことが見事に証明されました。
痩せ型で基礎疾患がなく、今まで病気をしたことがなかったことも強さの一因かと思いますが、積極的治療を受けない選択、かと言って怪しい民間治療にも無関心であったことも一因なのだと思います。
高齢者が積極的治療を受けると合併症がつきまといますし、根拠に乏しい民間療法はドツボにハマりがちです。
余計な治療を受けないことで病気がシンプルにまとまっていること、自然に任せていることが奇跡的に生きている最大の理由だと私は思います。何度も死にかけるためハラハラしますが、まだ一緒に過ごせるというのは何かご縁があるのだと私は思うのです。
今はただ、最期の最期は穏やかに、痛みがなくラクにお迎えがきてくれますようにとお祈りするばかりです。