両親を見送って
私は今年で48歳になりますが、昨年母、今年父、両親のお見送りを終えました。いずれみんな経験する両親との別れ、超高齢化社会の割に我が家は早めなのかな?と思います。
母72歳、父75歳でしたが、2人とも『人生長すぎる』と感じていたように思います。
2人は現代の生き生きシニアと程遠い『近年稀に見る健康に気を遣わない高齢者』でした。
死ぬということを恐れていない、どちらかといえばどう生きるか?(立派かどうかは別として)が人生のテーマだったと思います。
老後のことなど考えて生きたくない、娘の世話になんてなってたまるかというスピリットを持っていました。
それが良いんだか悪いんだか、介護という介護もさせず逝ってしまいました。非常にクセ強の両親でしたが、私達が元気なうちにみんなで揃って見送ることができ、結果『子孝行』だったと感謝しています。
今の医療って死ぬことを阻止することに長けている。
母は重症心筋梗塞と心不全、父はくも膜下出血でしたが、ほぼ一発で終わる致死率の高い疾患です。ですが、今は助かることが可能です。
助かったらお別れの日が遠くなるのでそれはそれで嬉しいけれど、ではその先は?
母は重症でしたが家に戻り2年8ヶ月自宅で過ごし自宅で亡くなりましたが、その間私は自問自答の日々でした。(助かったものの、最大の悲しみが後ろにズレただけのこと…)再度訪れる最大の悲しみに自分が耐えられるか?年齢的にあまりに大きな精神的ダメージは堪える。
早くにお別れは寂しいけれど、こちらの体力気力にも限界がある。
父は離婚しており、そう簡単に会えない場所に住んでいたのでここ6年ほど私は会っていませんでした。母の病状を伝えてショックを与えるくらいなら、いっそのこと知らない方が本人ためではないか?あえて教えないというのも一つの優しさの形です。
父は父で生活が大変になってきていてその状況が耳には入ってきていましたが、母に知られてはならないし、まわりまわって耳に入ってもマズイ。ということで、タッチの差で母が亡くなったものの、母の死は身内には一切知らせませんでした。
そういう内々で極秘に進めるというのも疲れるんです。何でこんな面倒な心遣いまでせにゃならんのだ、と思うこともしばしば。
これが40代のミドルライフクライシスですよ。
どのような末路を辿るのか?まるでわからない親の介護や死と直面し、かつ自分の生活や健康の問題も出てくるお年頃。我が家はあっさり終わってしまいましたけど、みんなこれからかぁ…と思いを馳せています。
ここ10年、母方の祖父が亡くなり、2年後父方祖母、3年後母方祖母、その1年後飼ってた猫さん、その2年後母が倒れ、その1年後父、見事に順番にみなさん亡くなっていきました。残された者の喪失感たるやハンパじゃないですよ。
でも、それももう終わりました。
しばらくは自分のことだけ考えていいのだな、結構暇だな、そう思う次第です。
私は結構周りを見て合わせて(流されて)生きていくタイプなので、自分が主人公になることがなかったように思います。48にして初めて主人公になるのか。もしかしたらその時のために有り余る体力があるのかもしれません。
今思えば、だいぶ波瀾万丈の半生を送ってきているぞ。
連続で両親が亡くなり、喪が全然明けないですがこれもまた人生。いつまでもああしていれば、こうしていれば、と考えても仕方がありません。
母がよく言っていました。『生きるのも死ぬのも大変だね。』と。
とりあえず、こちらはまだ生きている。生きているというのは死ぬことと同じくらい大変なのです。だから強く逞しく生きていかないとね。最期は必ず来るのだから。


